灰色の雑踏を抜けて、ドビュッシーに会いに行く
歩く。ビルがそびえる道を縫って、歩く。
この間まで居座っていたふてぶてしいまでの暑さがなりをひそめて、
今では街のあちらこちらで秋の風とすれ違うようになった。
けたたましく放たれていた色彩が少しずつおだやかになって、街の灰色が冷たさを取り戻
し始めたようだ。
ふと思う。
自分が今見えている世界は、他の人にどう見えているのだろうと。
同じ道を歩くこの人々に、同じ景色がどう見えているのだろう。
毎日がせわしなく過ぎていく中でだって、心が震えるような嬉しいことも、どうしようも
なく苛立つこともある。
きちんと心が動いて生きている。
それでも時々、目の前が色を失っているような気になることがあるだろう。
考えることで頭がいっぱいになって、少し息苦しくなるような時が。
そんな時に、ひとつの提案を。
色彩を探しに、音楽を聴きに行きませんか。
色彩を探しに、音楽を聴きに行きませんか。
音楽には美しい色彩がちりばめられている
色だけではない。
温度も手触りも匂いも違う音たちが渾然一体となって目の前にあらわれる。
そしてその色を見つけるのは聴き手のひとりひとりだ。
ひとつの音をきいて想像する色や情景は、他でもないあなただけのものなのだ。
あなたの心に宿った色彩は、あなたにしか見えていない色なのである。
そして、もしかしたら気が付くかもしれない。
灰色の中にもさまざまなグラデーションがあることを。
無機質に思えた街の灯りも、少しあたたかさを帯びていることを。
新しく心に宿った色を誰かに伝えたっていい。
あなたの隣で同じ音楽を聴く人だって、きっとあなたとは違う色を心に宿している。
そうやってその色を持ち寄って、世界全体のパレットを広げていったらおもしろい。
さあ
色彩を探しに、音楽を聴きにいきませんか。
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