朝カルレポート
10月19日金曜の夜に開催された朝日カルチャーセンターでのドビュッシー講座。
内容の詳しいレポートをいたします。
【燃える炭火に照らされた夕べ】
レクチャーは、「燃える炭火に照らされた夕べ」の演奏からスタートしました。
この曲が作曲されたころ、つまりドビュッシーの晩年は病に冒され非常に苦しみを伴うものでした。
大寒波の訪れや第一次世界大戦の勃発など、社会全体にも暗い影が漂っていたと言えるでしょう。
さて、本作の題材となった「炭火」
戦時下の当時では非常に高価で手の届かないものでした。
そしてある時、寒さに身をよじるドビュッシーに、ある商人が炭を与えました。
ドビュッシーはその炭で火をおこし暖を取ったのち、その返礼としてでしょうか、この小さな作品を作りました。
一見美談ともとれるこの話。
しかし決してただの綺麗な話ではない、と菊地は語りました。
というのも、若かりし頃に作曲したボードレールの詩集によせた歌曲集の中に、この題名「燃える炭火に照らされた夕べ」という一節が存在します。
わざわざ昔の作品から一片を取り出すとは、何か思うところがありそうだと思いませんか。
煌々と輝く火の光と自分の過去の栄光を重ね合わせていたのかもしれませんね。
病に蝕まれながら火の中にぼうっと浮かぶ若い自分を見るドビュッシーを思うと、
彼の人生の哀しみが心に浮かぶ気がします。
次の曲は「ボヘミア舞曲」
打って変わって弱冠18歳のドビュッシーの作品です。
この作品は彼の作品とは思えぬほどの大衆性、サロン的要素が感じられます。
なぜそのような作風の曲なのでしょうか。
それは、彼が生活の糧を得るために作曲を行っていた時期があるからです。
上流階級の人々にピアノを教え、曲を提供することでも稼ぎを得ていました
ピアノ教師として一家の娘に指導し、曲を提供することが多かったからです。
そういった背景から同時期の「アラベスク第一番」や「夢」などの作品は、サロン向けの雰囲気が多く見られます。
のちに「夢」が出版されることになったとき、ドビュッシーは
「これは芸術品ではなく粗悪品だ」と機嫌を損ねたようです。
(驚くべきことにこの「夢」は100フランという破格の安さで売りに出されました。)
作曲家自身が過去の作品を否定することは往々にありますが、ここまでの彼の拒絶は何か過剰なまでの作品へのこだわりが見られます。
そして本人にとってはどんなに不本意な作品であろうと、すでに彼の作風はあちらこちらに顔をのぞかせています。
ドビュッシーのスタイルが確立される前のこのころの作品からも彼の作品性が感じられるのです。
また、この曲はCMに使われたりするなど、現代でも多くの人に受け入れられている作品です。
それはこの曲が「ドビュッシーの曲」だからでは決してなく、多くの人の心に触れる何かを持った曲であるからだと言えるのではないでしょうか。
ドビュッシー独特のこだわりは他の作品でも見受けられます。
その例としてある2曲を比較してみましょう。
ピアノのために第2曲「サラバンド」とその7年前の作品「ルーヴルの思い出」
ルーヴルの思い出の曲想がサラバンドから引用されていることは誰の目にも明らかではありますが、注目すべき点はその他の部分にあります。
ほとんどわからないような小さな違いが存在する、ということです。
普通の人が気にも留めないようなごくわずかな違いにこそ、ドビュッシーのこだわりを見出すことができます。
3点ほど例を挙げてみていきましょう。
まず一小節目の内声。
前作では短調の和音が用いられています。
しかし後の作品では半音あがり旋法(モード)の上に和音が乗っかかることになります。
ある意味では過去に逆行しているとも言えますが、かえってそれが新しい感覚を呼び起こしています。
わかりやすく旋法を誇示するのではなく、さりげなく配置することで不思議な雰囲気を作り出していることに彼のバランス感覚の良さがうかがえます。
スパイスをちょうど良い加減に振りかけている、といったところでしょうか。
どんな調味料も入れすぎるとかえって風味が損なわれるものです。
そのぎりぎりのスパイス加減がお見事といったところでしょうか。
二つ目は、曲の構成の変化です。
前作では曲の前半部分でかなり音楽がゴージャスになります。
対して後の作品ではその部分がより質素な表現になり、後に続く中間部の盛り上がりをうまく引き立てる構成へと変化しました。
そして三つ目が特筆すべき最大のポイントです。
弾いている音は両曲まったく同じなのに、内声の書かれ方が大きく変化している部分があるのです。
前作では単純に上の音から順にソプラノ、アルト、テノール、バスと配置されていますが、
後の作品では声部がそれ自体で成り立つように配置され直しています。
ピアノで演奏するとほとんど気が付かない変化かもしれませんが、オーケストラの楽器に置き換えると、各声部のメロディの動き方が変化するとかなり違った聞こえ方をします。
ピアノ作品でありながらもそのような微妙なニュアンスを書き分けたところに彼の美意識が宿ります。
どこの部分の話なのか、根気よく探してみてくださいね!
挑戦的なドビュッシー
次は挑戦的なドビュッシーの一面を紹介します。
当時発刊されていた音楽雑誌MUSICAでは、連載企画として作曲家あてクイズなるものが存在しました。
各作曲家の小品を掲載して、作曲家が誰なのかをあてるというものでした。
このころドビュッシーはオペラ「ぺレアスとメリザンド」で大成功を収めていました。
その勢いに乗り、次作として作曲を始めたのがオペラ「鐘楼の悪魔」でした。
朴訥とした作風のペレアスとメリザンドに対し、鐘楼の悪魔はその名の通り悪魔のように刺激的でコミカルな作品にしようと目論んでいました。
そんな新たな自分の作風を生み出そうとしていたころに書かれたのが、この作曲家あてクイズにだされた一曲でした。
この曲はそれまでのドビュッシーのイメージではなく、新たな彼の作風をふんだんにあしらった曲です。
そしてそれは後期の作品にも相通じるものがありました。
そんな作品を作曲家あての連載に提出するなんて、なかなか挑戦的ですね。
「当てられるもんなら、当ててみな」という彼の声が聞こえてきそうではありませんか。
音楽の重層化
お次は彼の後期の作品へと目を移していきましょう。
「映像第二集」では21世紀の音楽への幕開けを感じることができます。
後期の作品では従来の二段譜ではなく三段譜、時には四段譜になることがありました。
それにより、よりひとつひとつの層や楽器郡を重ねた表現が可能になったと言えます。
本来、バッハの作品などの多声音楽は声部を重ねていく作曲法でした。
それに加えてドビュッシーは、響きのブロックを重ねていきました。
そしてのちに、メシアンなどが音楽そのものをひとかたまりのブロックとして重ねていく技法を選択していきます。
これらの変遷の一部分を担ったという観点から「映像第二集」を見直してみるのも面白いのではないでしょうか。
対象を観察するドビュッシー
前述した音楽雑誌「MUSICA」ではハイドン没後100周年を記念した企画が催されました。
ハイドンという文字列を音に置き換えモチーフとして作った作品を作るというものです。
曲の冒頭からこのテーマが登場するラヴェルの作品に対し、ドビュッシーの作品はなかなかテーマが現れません。
やっと出てきたと思ったらそこからはテーマのごり押し。
しつこいぐらいにテーマがあらわれます。
1つのモチーフを軸に様々な和声を展開させるやり方は彼の真骨頂でありました。
ひとつの対象を様々な角度から切り取る、という意味においては非常にベートーヴェンと似通っているのではないか、と菊地は考えます。
エチュード「交替する三度」では音そのもの、音程そのものを分解し、おもしろい配置を試みています。
このような対象を分解して再構成するやりかたは、まさにカンディンスキーやパウル・クレーの絵画技法と類似しています。
曲を通してドビュッシーの人生を感じる
そして、講座の最後にお送りした曲は、「悲歌」でした。
この作品は音楽的に突出して優れたものではないかもしれませんが、一人の人間としてのドビュッシーに触れられる重要な作品です。
このように彼の生涯を追うように解説した今回の講座。
11月4日の全曲演奏会でも、彼の人生を追うように音楽に耳を傾けていただけたらと思います。
ムンク展、ルドン展といった1人の絵描きの生涯をたどる展覧会があるように、一人の作曲家の作品を展覧するかのようなコンサートです。
ドビュッシーの曲を通して、彼の一生を感じ取っていただけたら、と思います。
お越しくださる皆様を、アーティストはもちろんスタッフ全員でお待ち申し上げております!
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